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68年目の慰霊

 白河高校山岳部には、忘れられない歴史があります。
 「白河高校生が甲子山で遭難」
 1955(昭和30)年5月29日、山岳部一行16名のうち6名が甲子山中で遭難し、不帰の客となりました。
 この出来事は県内外の関係者に衝撃を与えたことはいうまでもなく、6月2日に県や白河市からの絶大な協力のもと盛大かつ厳粛に学校葬が行われました。
 また、約2ヶ月後には「あゝ遭難の白高生」が古関裕而氏の作曲、増田幸治氏の作詞によって捧げられ、「嵐に凍え 母を呼び」の一節は遺族のみならず広く同窓生の涙をさそったのです。
 写真の碑は、遭難の年の9月に本校敷地内に設けられた「甲子山遭難碑」で、毎年、遭難の日に合わせて本校では慰霊祭が執り行われています。
 本校山岳部は現在も、各種大会の折には「登山計画書」冒頭に、碑文に刻まれた全文を印刷して同計画書を携行しています。

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